幼児期から思春期くらいの苦痛を掘り起こして、克服に近づける

以前こんな記事を書いた。今回はその続きである。

こちらもまた、思考のプロセスを書いていくだけだ。

人に読んでいただくにはあまりにもまとまりがないし、心理に関する専門知識があるわけではないがあしからず。

生まれたばかりの頃はどんな人でも記憶はそんなにないだろう。離婚したせいか、親と一緒に写っている写真もない。ちょっと悲しい。

では幼児期はどうだろう。頑張って掘り起こしてみる。

幼児期の苦痛体験

振り返ると結構つらい思いをしていた。保育園→母親の再婚を期に幼稚園に行ったが、どちらでもいじめられていた。

生まれつき遠視で幼い頃はメガネをかけていたのだが、勝手に取られたり「メガネザル」とか言われたりしていた。他にも持ってきたお弁当でもいじめられたらしい。

こちらは記憶がなく、中学生の頃友達に「そういえばこんな事あったよね」と言われて知った。

幼稚園でもいじめられていたが、これも原因が思い出せない。幼稚園ではメガネをかけていなかったので、原因が他にある。

詳しいことはわからないが、とにかくこの頃の記憶がほとんどない。

もしかしたら、つらかったので自分で消してしまった可能性がある。

けれど、親に言って泣きついたことはたぶんない。

自分の主張なんてどうでもいいから、言っても意味がない。むしろいじめられる自分が悪いと思っていたかもしれない。

嘘をつくのが当たり前になった

また、アルバムの将来の夢で嘘をついている。本当になりたいものを書くのが怖かった。バカにされたくなくて、友達と同じにした。(これは小学校でもそうだ)

この頃すでに、からかわれるのが怖いとか仲間外れにされるのが怖いとか、恐怖を原動力に人とかかわっている。

小学校にあがると、仲良くしてくれる数人に執着するようになった。

見捨てられたくない、自分が相手の1番であってほしいと思っていた気がする。

他の友達と遊んでいるとき、他の子とおそろいのものを持っているとき、すごく不安と焦燥感に駆られた。

例えば友達が持っているゲームが羨ましいとかは、よくあることだと思う。

私の場合は羨ましいのはもちろんだが、持っていないと仲間はずれにされる、友達ではなくなってしまうという恐怖があった。

そしてまた、仲間外れになるのが怖くて頻繁に嘘をついた。といっても、好きな人を正直に言えないとか、好きなキャラクターを周りに合わせるとかそういう嘘だ。

あとは知ったかぶりだ。1度だけ「知ったかぶりしないほうがいいよ」と言われたことがある。いまだに忘れられないくらいショックだった。

けれど知らないというのは怖い、今でも。

こうしてみると、とにかく本音を言えない。言ってしまったら嫌われる、いなくなってしまうかもしれないという恐怖がつきまとう。

突然、人とのかかわりを絶ってしまう

中学生にあがると、人間関係に変化が訪れる。

なぜだか急に「自分なんかが連絡とっても気持ち悪いよな」「相手はもう私のことなんかどうでもいいはず」と考え、小学校で仲が良かった人との関係を自ら消してしまった。

あんなに嫌われないよう必死だったのに。

そういえば中学生になってから、食べる量が増えた。

昔は小食な方だったのだが、食べるようになってから「たくさん食べるようになって嬉しい」と親族なんかに言われることが増え、当然体重も増えた。

相手が喜ぶから食べる、という意識が根本にあったのだが、一方で体重が増えて醜くなったような気がしてつらかった。

こんなデブ、友達にいても気持ち悪いだろうと思い始めたのも勝手に疎遠になった理由だ。

もしかしたら、自分は必要ない、人が離れて当たり前の人間と思っているのかもしれない。今でもそうだ。

仕事を休むことになったときも「どうせいてもいなくても変わらないし、私みたいなグズがいなくなって喜んでいるかもしれない」と思った。

そう思うことで勝手に傷ついて、安心していた。

そうか、傷つくことで安心している。

嫌われる、捨てられる、当然の結果として受け入れることで納得して、また本音を奥底に閉じ込めて生きていく。

この記事を書かなかったら、これには気づけなかったかもしれない。

さて、この経験にも隠れた本音がある。ちょっと振り返って、どうして欲しかったか、当時のSOSを書いていく。

隠れていた本音

食べられなくても認めてほしかった。テストの点数次第でご褒美を用意してくれるのは嬉しかったが、私にとってはその点数を取らなければ自分には価値がないと言われているようなものだった。

運動ができなかったが「私はもっとできた」なんて言わないで欲しかった。

この頃から自傷行為を始めた。気付いて欲しかった。母の真横で出血するくらい腕をかきむしっても気づかれなかったが。心配して欲しかった。

家に平穏なんてなかった

夫婦喧嘩のたびに私が死ねばいいんでしょ!なんて言わないでほしかった。

それを聞くたびに生まれてこなきゃよかったと思った。

自分が死ねば家族は幸せになれるんだと思うようになった。明日起きたら殺されているか、母親が死んでいるかのどちらかだと思って眠れなくなった。

朝起きてケロッとしている母を見て安心したが、この平穏がいつまで続くかわからなくて怖かった。家は安心できる場所ではない。

受験の時、志望校はどこでもいいと言ってくれた。自分のやりたいことがあったからよかったものの、もうちょっと気にかけて欲しかった。

勉強していれば何も言われないし、考えたくないことから目をそらすことができた。

おかげで成績はよくなった。学校では真面目で問題も起こさない、特に悪いところのない生徒になれてしまった。先生にも気づかれない、言えない。

大人は気付いていても行動には移せなかったのかもしれない。あの時カウンセラーの先生とかに話せれば気が楽だったんだろうか。

具合が悪いと怒られた

友人にちょくちょく学校を休んだり、保健室登校の子がいた。羨ましかった。

具合が悪いことは許されなかったし、熱を出せば怒られて、微熱なら登校しろと言われてきた。(結局嘔吐して早退した。怒られた。)

自分もそうしたい、助けて欲しいと思う反面「自分は価値のない人間だから、具合が悪くても根を上げてはいけない」と傷つけて必死にこらえていた。

よく自虐で笑いを取ろうとしていた。足が遅くて笑われた時も、太って醜くなった顔も、貧乏な家のことも、全部笑ってもらおうとしていた気がする。

実際どうだったかは思い出せないが、友達には悪い事をしたな、と思う。

小学生のころから友達を家に呼びたいというと必ず怒られた。

貧しくて汚い家なのだそうだ。かといって友達の家に行くというと怒られる。

自分の家には呼べないのに、行ってばかりで迷惑だそうだ。悲しかった。別に呼べないのは仕方ないけれど、友達の家に行く度自分の家を悪く言わないでほしい。

そこで育って、一緒に暮らしているのに。そんなに自分から不幸にならなくていいのに。母が不幸でも、子どもの自分にはどうすることもできなかった。それが悲しかった。

妹のことでたくさん無力感を味わっていた

妹を流産していたと知った時は、本当に自分が死ねばよかったと思った。

その後反対されても産んだ3人目は、毎日罵られながら生きている。どうして産んだのか。子どもだって人間なのだ。

ストレスのはけ口にするために産んだのかとしか思えない。許せないけれど自分はそれを見ているだけだった。これは今でもつらい。

毎日あんなに暴言を吐かれたら、誰だっておかしくなる。

書いていて気付いたが、家庭での1番のストレスだったかもしれない。自分も傷ついているけど、目の前で傷ついている妹を救えない。いまもそうだ。

大人になってから、自分のように人間関係でうまくいかなくなって苦労してほしくない。自分の人生なのだから、ただのお節介であることはわかっている。

けれど不幸になってほしくはない。つらい。結局お金があれば、カウンセリングに行ったり、引っ越しをして環境改善するとかできるのかもしれない。

中学生以降は、傷ついた自分よりも妹を苦しめたくない、守らなきゃと思い必死だった。よく考えたら私と妹は父親が違う。育った環境が違うわけだ。

けれど夫婦喧嘩が絶えず、家庭内別居状態の家で良い影響があるとは思えない。自分とはちょっと違うタイプの苦しみがあるのだろうか。

こういう私にはどうしようもないことを考えると「死にたい」にまとめて考えることを放棄してしまう。

傷ついた自分を優先すべきなのか、それとも自分は妹のことで傷ついているのかもわからない。

妹のことは抜きにして考えるべきか、妹にこうして欲しかったという本音を深堀すべきかはわからないが、こちらもまたゆっくり振り返りたい。

ここに書くことで少し整理できた気もする。なんの解決にもならないが、泣きながら書くことで誰かに打ち明ける気分を体感できた。

思いだしたことを書くことで、正体不明の苦しみと闘っている人の参考になっていれば嬉しい。