※この記事は、カウンセリングに行く勇気がないのでまずは調べたことを基に自分のトラウマを克服する準備をしたい、考えを整理したいと思って書く。
愛着についての話をするが、分野に精通しているわけではないので悪しからず。
職場でうまくいかないのは自分のせいだと思っていた
職場に居場所がない。自分なんかいてもいなくてもいい。いつまでたってもプライベートな話はしないし、それが楽なはずなのに、時々勝手に疎外感を抱く。
思えば学生の頃からそうだった。親しい人は片手で収まるくらい。けれどそこでも本音は言えなかったし、明るい自分を演じていた。
大人になって、職場であまりにもうまくいかない。パワハラやセクハラを受けたわけでもないし、ただの自滅である。
心療内科で「仕事中に死にたい、消えたいと思う」と伝えると、愛着障害だった可能性を指摘された。
乳児期の母親とのかかわりが原因の1つ?
まず人間には愛着タイプというものがあり、生まれてすぐの頃〜3歳くらいまでの母親との関わり方で大体決まってくるらしい。
いわば人間関係の土台だ。
自分がどのタイプか、ネットの診断でも傾向がわかる。私はどうやら恐れ・回避型だ。
このタイプが1番人間関係で苦労するらしい。
恐怖から人とかかわる
人間関係を構築するときに、根本に恐れがある。常に不安なのだ。
発言を否定されたくない、嫌われたくない、見捨てられたくない、注意されるのが怖い。
仕事の確認を怠らないのも、頼まれたらなんでも引き受けるのも、いつもなるべく笑顔で元気を装っているのも、全部恐怖からだ。
断ったりミスをしたりすれば、明日から職場で無視されてしまうかもしれない。
もともと自分なんか必要ないのだから、せめて頼まれたことくらいはしなきゃ。
けれど、面と向かって褒められたり認められたりすることは少ない。
自分の存在を不要と考えているので、相手からの言葉で埋めたくなるが、それもない。
本当に空気だ。つらい。酸素を吸ってムダを生む地球のゴミだとも思ってしまう。
仕事中にこれがよぎると何も手につかなくなる。
仕事をしている間、夢を見ているかのような非現実感がある。記憶も怪しい。
端からみたら真面目で愛想もよく、特に害のない人かもしれない。
でも、内側で必死にもがいている。
今までこの生き方をしてきたのはたぶん、人と恐怖からかかわり、必要以上に近づかないことが最善だと感じていたからだろう。
確かに人とプライベートな話をしないのは楽だと思っている。けれど、かかわりが希薄すぎて「自分は嫌われているんじゃないか」と不安になる。
周囲の人間が恐怖の対象ではないと知り、恐怖に支配されない人間関係を構築していく必要がある。
幼い頃を思い出して推測してみる
幼い頃に身に着けた「人の望みどおり行動しなきゃ見捨てられる」「本当の自分なんかいない(見ないふり)」という考えは、トラウマを掘り起こして向き合わないといけないようだ。
このタイプの人は、赤ちゃんの頃に泣いても構ってもらえなかった可能性があるらしい。
泣いても無駄→自分の主張は無駄、どうせ誰も聞いてくれない→自分なんかいらない。最悪である。
私の両親は、私が3歳になる頃には離婚していたらしい。らしいというのは知らないからだ。
実父の顔すらわからない。父の名前も離婚も、20歳を過ぎて戸籍謄本を取った時に初めて知った。(幼い頃に再婚しているのだが、私は養父を実父だと思って生きてきた。人は信用できないと確信してしまった)
生まれたばかりの頃になにがあったか知らないが、その時すでに愛情を注いでもらえていなかった自分を想像して涙が止まらない。
泣いても叫んでも無駄だったのだろうか。
夫婦喧嘩を聞きながら、誰も頼れずつらい思いをしていたのかもしれない。
どうして欲しかったのかを言葉にする
こういう悲しみを一つずつ振り返って、あの時こうしてほしかったと言語化するのが重要と聞いた。
それも書いていこう。
泣いたら抱きしめて欲しかった。なんでもダメと言わないで欲しい。
マイペースだったけど、せかさないでほしい。食事を残してはいけないから必死に口に詰めたけど飲み込めない。
ゆっくりでいいとかちょっと量が多かったねとか、気にかけてほしかった。
ヒステリック気味に怒る前に、話をちゃんと聞いて欲しかった。
いつも○○すればよかったのにと言わないで欲しい。
何度言ってもブランコで頭から落ちていたらしいが、それを笑ってはいなかっただろうか。
きっと笑ったから、こうすれば笑ってもらえると学んだだけかもしれない。
頭に湿布を貼って帰ったときも、頭から転んだときも、そういえば笑われた気がする。心配して欲しかった。ケガや痛みは笑われるものじゃないと早く知りたかった。
15分くらい考えて、これだけでてきた。書いている間は涙が止まらなくなる。
悲しいのでやめたくなるが、フタをしてしまうと一生このままである。
克服には自分を受け入れてくれる相手に話をするのも有効らしい。
けれど私は人に話せないからここに書く。そういえば、いつも人と話をする前はイメージトレーニングをしている。
どうしても言えない本音は、もう1人の自分に心の中で打ち明けて聞いてもらっていた。
いま気づいたが、自分の中に「話を聞いてくれる相手」をつくっている。
つらいことがあったときは、頭の中で誰かに語り掛けている。本当に友人と話すかのように。そうやって心を守ってきた。
先述の通り、こんなことを言ってしまえる相手がいるのがいいらしい。
人は信頼できるものだと心から思えるようになったら、もっと楽なのだろうか。
思ったより長くなってしまった。幼児期以降の話は別の記事で掘ってみようと思う。